自分に才能なんてない、と確信しているあなたへ。自己肯定感を秒で上げる感謝ワークのススメ
こんばんは、榊原です。
先日美容院に行った際出された雑誌を読んでいたところ、「自己肯定感」というワードが流行っているらしいと知ったので、今日はこれをテーマに思うところを書いてみたいと思います。
そもそもなぜ自己肯定感が高いのがよいかというと、目標に向かって行動する意欲が湧くからとのこと。
私も以前は行動する気力すらない、どんな行動をしたところで状況がよくなる気がしないことがありました。
こんな抑うつ状態になったとき、セロトニン不足ような物理的な問題もあるのですが、今回は感情面に絞って自分を見つめ直す方法について話したいと思います。
実は感謝が足りないのかも!?
「え!?こんな悲惨な状況なのに感謝なんてできっこないよ!」
「私はいつも人に感謝してるぞ!それでも足りないというのか!」
と怒られそうですが、そうじゃないんです。
自分に自信が持てないとき、そもそものところ「生かされていること」への感謝ができているでしょうか。
私は他の命に生かされている、という事実
私が生まれてから今日に至るまで、
- 吸った酸素は他の生命が光合成で作ってくれたもの
- 食べたものは他の生命が作り出してくれたもの
- 身の回りにあるものは全て、誰かが作って届けてくれたもの
ですよね?他の生命のお陰で、今私は生きています。
時には、別の生命を犠牲にして私は命をつないできました。
今ここに至るまでに、既に私に対して沢山の奉仕・応援があったと解釈していいと思うんです。
それを「私は他の生命を犠牲にした罪のある存在だ」と捉えるではなく、別の生命が私に生きることを期待してくれている、と肯定的に見ていく。
そこにしっかりと感謝できると、生きるからには他の生命の役に立ちたいと自然に感じられないでしょうか。
私の場合はそこから「何か行動を起こせば状況が変わるかも?」と未来に淡く期待できるようになっていったんです。
現代病とその結果
この解釈の仕方については、異論も認めます。
- そもそも犠牲になれなんて頼んでないし
- 私だって望んで生まれてきた訳じゃない、しょうがないでしょ
- お金出してるんだから、それくらいしてくれて当然
こんな風に考えるのも理解できます。
ある事実に対して「感謝すべきこと」と感じるか「当然のこと」と感じるかは、単に解釈の問題だと思うのですよ。
解釈に優劣も正解不正解もないです。どんな解釈を選ぶかは純粋に好みです。
ただ、好みで選ぶとしても「当然のこと」と思う割合が増えていくと、段々「自分が世界に生かされている」という実感が持てなくなっていくんです。
結果どうなるかというと、
- 何者かになって何かを成し遂げ人より優越し、競争に勝ち続けなければ生きる意味がないと感じる
- 人を雑に扱い蹴落としても何も感じない
- 人に認めてもらえない、愛されない、のけ者にされて居場所がない感じがして常に不安
- 私はこの世に存在していい、という生きること自体への肯定感が損なわれていく
いかにも現代病っぽい焦燥感に駆られることに繋がっていきます。
自分に強み才能があると、自分で信じること
そもそも自分で信じてもいないのに、自分の強みや才能が引き出されることなんてありえません。
まずは、生かされている以上何か世界に対して役割を担っていけるのではないか、とほんのり感じられるだけでいいんです。
事実に対する解釈は好みで選べます。
あなたはどんな解釈を選んで生きていきますか?
それにはどんなメリットとデメリットがあるでしょうか。
ぜひコメント欄にアウトプットしてみてください♪