女性であるということの強み才能とは?波と共に生きるという性質
こんばんは、榊原です。
これまでのキャリア的に言うと、私はいわゆる”バリキャリ”です。
私の周りには世間的なイメージの”サバサバ女子”はあまりおらず、どちらかというと非常に真面目で比較的地味な女性が多い印象でした。
こうした仕事熱心な女性たちが、より女性として魅力的に社会で活躍するとしたら、どんな考え方ができるか提案してみようと思います。
女性的であることは劣っている?
一般的に、女性的であるというと(もちろん個人差はありますが傾向として)以下のようなイメージがあるのではないでしょうか。
- 力が弱い
- デリケートで傷つきやすい
- 波がある
これって、男性社会では”劣っている”とされやすい性質ではないかと思うのです。
劣っているから、バカにされたり軽んじられたり無視されたりするかもしれない、と身構えてしまいます。
なので、仕事を頑張ろうとする女性は男性のように
- 力(体力・能力・金銭・権力etc・・・)をつけよう
- 感受性に蓋をしよう
- 常に一定のモチベーションで生きなきゃ
という方向性に行きがちだと思います。
“共創”という視点で見たときの”弱さ”
こういった、女性が生まれながらに持っている相対的な”弱さ”というものも、”競争”ではなく”共創”の視点から見ると単に個性であり、強みだと思うのです。
私が思う”強み才能”の”強”は、必ずしも物理的な強さを意味していません。
弱さという強み。
女性が自分自身に対して「弱いことはダメだ」と思ってしまうのは、ありのままの私にNGを出していることと同じじゃないかと思います。
皆がみな、男性の言うことや価値観に従って男性と同じように生きる必要はないのでは。
私は私、女は女です。
これは、女性は男性のように社会で活躍してはいけない、という意味ではありません。
むしろ逆です。
楽に、私が私であることで、社会における役割を全うする、という提案です。
波がありリズムを刻む自然
日が昇り暮れて、月が満ち欠けし、1年を通して四季があるように、元々自然にはリズムやサイクルがあります。
もしそれがなかったら、どうなるでしょうか。
常夏も素晴らしいですが、例えば冬がやってきて草木が枯れるからこそ、穀物は種という形で次の春へ向けて保存されるわけです。
そして、私たちはその種を頂くことでお腹を満たすことができます。
大自然のリズムのお陰で豊かに生活ができるのです。
確固とした自分を持ち辛く感受性が豊かで波のある女性は、大自然の波に乗っかっていくことが得意とも言えます。
頑丈で壊れにくいものを作るのは男性に任せて、ゆらゆらとしなやかに目に見えない不確かなものを大切に育む役割を担うのも、これからの時代の女性の生き方としてアリなのではないかと思います。
女性性を生かす=性的な魅力でアピールすること/産む機械、というような考え方は、女性の役割を非常に限定的なものにする男性的な価値観に基づいたものだと思うのです。
弱いものや劣っているものを攻撃するのは、共創の生き方ではありません。
強いなら強い、弱いなら弱いで、じゃあ”私たち”として、その中でどんな役割を担うのか。
その責任範囲を好みで自由に決めていくことが、共創の生き方であり、強み才能を生かすということなのだと思います。
具体的な女性性の強みの生かし方は状況によって異なると思うのですが、まずは自分や周りの女性たちの女性らしさにOKを出してみてほしいと思います。
まだ一般的な仕事場ではこうした女性的な在り方にニーズがないとしても、まず自分からニーズを生み出して環境を変える一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
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